タイムトラベルの可能性

タイムトラベル・・・
過去に戻って歴史を変えたい。未来を見に行って何が起こるのか知りたい。
そんな様々な願望から語られているタイムトラベルですが、今回は現実に可能なのか?について
ちょっと書いてみようかと思います。ドラえもんがいれば一番簡単・確実なのですが・・・^^;

さて、タイムトラベルと言われるように、時間を遡る・あるいは時間を進めると言った概念は
一定の時間の中で生きている自分たちには、限りなく不可能の世界のように感じます。
でも、科学的には、ある条件のもとでなら、物理的なタイムトラベルの可能性のある事を認めています。
勿論、今すぐとか、頻繁にとかはやはり無理なのですが、天体物理学においては
一方通行ながらタイムトラベルの可能性があるようです。

時間の流れを変える手段・・・
アインシュタインの相対性理論によって、宇宙の仕組みがかなり的確?に解説されるようになった今では、
高速に近い速度で動く粒子の実験などによって時間の定義が変わり、時間が常に一定の速さで流れている
といった概念は既に時代遅れになっているのは、結構皆さんも知っていると思います。
空間と同様に、時間も融通性に富んで固定されてはいないとされ
アインシュタインの理論でも、この2つは、時間と空間が表裏一体となった形を指して、
【時空】と呼ばれています。
ある一定の状況下でなら、時間と空間が入れ替わる事もありうるようですね。

アインシュタインの相対性理論は、原子以下の粒子同士を衝突させる、最新の粒子加速器の中で
粒子を光速に近いスピードまで加速して、直接測定した結果、ほぼ完璧な理論となっています。
粒子を光速近くまで加速すると、静止状態にある時よりも寿命が延びる事が確認されたからです。
つまり、宇宙に飛び立ち、宇宙空間を秒速30万キロという光速に近いスピードで旅を続けると
地球に戻ってきた時には、地球にいた人間の誰よりも歳を取る速度が遅くなっている。というやつです^^;
これならば、頭の中に描いていたタイムトラベルとはちょっと違いますが、一足飛びに未来へ行けます。
ただ、この方法だと未来に辿り着いたとして、そこが理想の未来ではなかった場合でも、自分がいた過去には
もう戻れないという事態に直面します。
時間が一定の速度で流れようと流れまいと、常識の枠内にあっては、時間の流れは常に一方通行と考えられているからで
万に一つの可能性で未来へ行けたとしても、時を遡って過去へ戻る事はまずあり得ないというわけです。
結果、タイムトラベルの議論の鍵になるのが、物事には必ず原因と結果がある因果律というやつです。
例えとして、ピストルの弾は引き金を引いた後に発射されるのであって、引き金を引く前ではないというのがあります。
これが当たり前の事なんですが、タイムトラベルの未来ではなく、過去への可能性となると
残念ですがこの因果律が解決されないと不可能のようです。

タイムトラベルの問題点。タイム・パラドックス・・・
想像力の乏しい人にとっては、矛盾となるパラドックスが見つかると
それがタイムトラベルなどが出来ない証明になってしまいます。
逆に想像力に富んだ人にとっては、パラドックスはむしろ、より大胆な現状打開策を見出す
励みになるようです。なんの話かと言うと、小説などの作り話でのことなんですけどね^^;
ドラえもんのタイムマシンを使った話でもそうですし、他のパラドックスを扱った小説や映画で
最も引き合いに出されるのは、過去に遡った人間が、自分の父親、もしくは母親の誕生を阻止してしまう話でしょうか。
しかし、もし阻止するのであれば、生まれてくるはずのない人間が、どうやって過去へ行くのか?
一般的に、こうしたパラドックスが存在すること自体、タイムトラベルが不可能な証拠と言われますが^^;

じゃあ、やっぱりタイムトラベルなんて無理じゃん・・・
とかになりますが、パラドックスの解決策は結構あったりするようです。
最も単純な解決策は、時間旅行者の行動が及ぼす影響は、最初から時空の糸に織り込まれていたという考え方。
わかりやすく言うと、誰かが歴史を変えようとして、過去にタイムトラベルをして何かをしたとしても
それは既に歴史に織り込み済みなので、現在の状況はなんら変わらないという事です。
これと似たような台詞が、なんかのSF映画でもあったような・・・^^;

こうしたパラドックスの問題は、色々小説なり映画なりになっているんですが
そんな中で面白い小説の話をひとつ。
マイケル・ムアコックの小説
【この人を見よ】という作品では、こうしたパラドックスをテーマにしていて
この話の中の主人公は、狂信的かつ神がかり的な人物で、イエス・キリストの処刑を見るために
2000年前の過去へと旅立って行きます。
ところが、過去に着いた途端、タイムマシンは修理不可能なほど壊れてしまい、帰るめどもたたず
その上、聖書に出てくるイエスの足取りも全く掴む事が出来ない状態になってしまいました。
それでも彼は諦めず、イエスの事を人々に話して回るうちに、いつしか自分がイエスの役目を果たすようになり
聖書で覚えたイエスの言動をなぞりながら、遂には十字架に架けられてしまう・・・という話です。
こうして歴史は作られ、2000年後の現在へ生まれてくる主人公によって、蛇が自分の尾を飲み込むように
時間の環が結ばれていったというわけです。

これに対して、パラドックスの解決を無限に変化する時空に求めたものもあります。
そこでは、個人もまた、ほとんど知る者とていない自らの運命の支配者として登場しています。
L・スプレイグ・ド・キャンプの
【夜の帳を避けて】という作品では
6世紀のイタリアへ何故か?置き去りにされた20世紀の主人公が、暗黒時代という歴史を阻止しようとする物語です。
その中で作者が伝えようとしたのは、「歴史の木の幹から滑り落ちた」主人公が
6世紀の社会に20世紀風の考え方を取り入れた結果、歴史が新しい方向へ進んでいくというものでした。

こうした様々なタイムトラベルへの思想は、わずかな修正を加えると、哲学の概念にも通用するようで
どういうことかと言うと、それは、様々な現実世界が無数に並立し合い、互いに同時に存在しているってやつです。
俗に言う
【パラレルワールド】のことです。
哲学の理論では、時間というのは、想定出来るあらゆる事態をそれぞれ一続きにまとめて
何らかの形で現在の世界と並列する世界を構成していくようです。
つまり、起こりうる可能性のある事態は、どれもみな無限に並列するパラレルワールドの世界で起きているって事です。
その中には、現在の世界とほんの些細な違いしかない世界もあれば、およそ現実離れした奇妙な世界も存在するようですね。
このパラレルワールドによって、最初に書いた「過去に遡って自分の父親・母親誕生を阻止する」を考えると
過去に遡って自分の父親を殺す場合、その人物は、並列する現実世界のひとつへ【横滑り】して
そのかわりに父親は外部(かつ別の時代)からの侵入者によって必ず殺される。
別の並行する世界(パラレルワールド)に入り込むという考え方になります。
だから、子供が過去から戻った時に歴史が変わっていなくても、それは自分の【時間軸】の中で
歴史を変えるほどの事件が何も起こらなかっただけなので、別に驚くほどのことではない・・・らしいです^^;

なんだか、もうややこしくてわけがわからなくなってきましたね^^

結局のところ机上論のようになってしまい、現代においてタイムトラベルの現実性はないようです。
でも、今の人間の倫理観やその他諸々の事を考えると、時間を行き来出来ないほうが
ある意味幸せなことかも知れないですね・・・^^;

そう言えば、アメリカ空軍がフィラデルフィアで行った実験で起きたタイムトラベル事件・・・
あれはなんだったんだろ・・・映画も3作ぐらいあったようだけど・・・

 

時間とは何か 相対性理論の伸び縮みする時間,タイムトラベル,時間の始まりと終わり,そして感覚的な時間まで 増補第3版

Newton タイムトラベル