現代も渦巻く呪いの恐怖

最近このHPのチャットで「呪い」と言う言葉を目にする機会が

やたらと多いので今回は呪いについて少し考えてみましょう。

日本古来の呪いというと

丑三つ時に行う丑の刻参りが有名ですね。

神社の木にわら人形を五寸釘で打ち込むというアレです。

最近では通販でもわら人形と五寸釘のセットが購入出来たりと

割とポピュラーになっていますが・・・^^;

しかし何故丑の刻でなくてはいけないのでしょうか?

「草木も眠る丑三つ時」、現在の午前2時に行う理由は?

諸説色々あるようですが、次のような説が一般的に認知されているようです。

丑の刻参りをする人間は自らが鬼と化さなければならない。

昔から鬼のいる方角は鬼門とされ

その方角は丑寅の方角。今で言うと北西に当たります。

そこから丑と鬼は縁が深いものらしく

丑の刻が時間的に最適と選ばれたようですね。

また昔から言われてるように、丑三つ時には「もののけ」と呼ばれる者達が

百鬼夜行すると言われ、鬼とか妖怪がうごめくのに

もっとも適した時間なのかも知れません。

さらに「草木も眠る丑三つ時」と言うように

午前2時頃はほとんどの人間が深い眠りに就いてるため

人目に触れることなく呪いを遂行出来る良い時刻なのでしょう。

さて、丑の刻参りにはこれといった作法はあまりないようですが

守らなければならない事が3つだけあります。

@ 丑の刻参りは神社の神域(鳥居の内側。鳥居がいくつもある神社なら

一の鳥居の内側)で行う。鬼神の助けなくして呪いは成就できない。

A 人の目に決して触れてはならない。丑の刻参りは装束を身に着けた時に

始まり、脱いだ時に終わる。その間、誰の目にも触れさせてはいけない。

B 以上の事を7晩続けて行わなければならない。

なんとも大変な作業です^^;

もっとも「呪いをかける」なんて作業は、かなりの精神力がないと続きませんからね。

しかし仮に呪いが成就し、憎む相手が倒れた時・・・

昔からこれも良く聞く「人を呪わば穴二つ」というのがあります。

これは、かけた呪いは自分にも必ず跳ね返ってきて結局は自分も倒れてしまう

そんな意味です。相手も倒れたが自分も倒れる・・・

これでは呪う事そのものが「自滅」を意味してしまいます。

じゃあ呪いなんてやっても仕方ない・・・そう思いましたが、実はそうでもないようです。

仮に誰かを呪ったとしましょう。

誰を? どういう風に? は省略しますが、

その呪いが効いた。効果があった。そんな実感をした時に

「願ほどき」を行う事によって、かけた呪いが返ってくるのを防げるようです。

そもそも呪いと言う行為自体が、あまりお薦めできたものじゃないんですが

まぁ天にもすがる。魂を呪いのかたにじゃないですが

とにかく超自然的な力を借りたわけですから、もし呪いの効果を実感できたら

「願ほどき」を行いましょう。

方法ですが、深呼吸をして両手の人差し指を勢いよく「×」に合わせる。

実に簡単ですが、かなりの効果があるようです。

他には神社・寺・教会にお参りに行き、お賽銭をささげ祈る事ぐらいです。

それと道に落ちてるゴミを拾う・献血等、あまり人が進んでやらない善行

行うのも「願ほどき」に有効だそうです。

とにかく誰かを呪った時点で、相手の落ちる穴と自分の落ちる穴が二つ用意されるのですから

早々に「願ほどき」をしましょう。

さて、更に良く聞くのが、呪いの際に唱える呪文の類です。

呪文は、古代インド語の音(梵語)や文字(梵字)を使っている事が多く

実は意味不明の言葉が非常に多いそうで

本当のところは仏教学者の人達にも何が何だかわからないのが現状だそうです^^;

ただ、真言密教では、このような不可思議な言葉を呪文とは呼ばず

同じものでも「真言」と呼びます。

結局、何が何だかわからないけど、それを声に出して唱えると

不思議な力を授かったり、ありがたく感じるところに呪文の意味があるようです。

そんな中で有名な呪文をひとつあげてみましょう。

「くわばらくわばら」というのを、きっと誰もが一度は耳にしたことがあると思います。

恐ろしいものを見たり・聞いたりした時、その災厄から逃れるために

唱える呪文のように思われていますが

もともとは雷が鳴った時に、落雷から逃れるための呪文でした。

天神様こと菅原道真の祟りに怯えていた平安時代の人々は

雷もその祟りのひとつだと信じていたようです。

そこで菅原道真の所領が桑原だったため、自分の所領には雷を落とす事はないだろうと

「くわばら、くわばら」と唱えたのが始まりとされてます。

これからもわかるように、呪文は基本的に災厄を免れるために唱えるものであり

自分を守るためのものです。

結局、呪文で相手を調伏することが出来るのは

密教の修行僧や、修験道の行者などの、ごく一部の人間に過ぎないようです。

さて、先ほどもちょっと書きましたが「真言」についてですが

呪文と呼ばない真言には、仏尊それぞれに様々な意味合いの真言があるようです。

薬師如来、観世音菩薩、地蔵菩薩、虚空像菩薩、不動明王、愛染明王、孔雀明王、弁財天etc...

上に記した仏尊以外にもありますが、

それぞれに唱える真言・叶う望みは違うようです。

ただ、一心不乱に自分の目的にあった仏尊に願いを込めて真言を唱えると

望みが成就する可能性もあるようですね。

どうも長くなりそうなので・・・この辺で呪いについては一時休止ということで^^;

気が向いたら、更に詳しく呪文・真言について調べて見ようと思います。

最後に・・・

九字法の印について書いておきます。

九字のそれぞれの意味はともかく、九字法には邪気を払い除ける力があるとされ

一切の災害・悪気・妖魔を払うとともに、開運・護身などに神変不可思議な力があると伝えられてます。

また、邪気を払い除ける力は、怨敵を調伏する力にも通じるようです。

その九字の印の言葉ですが次の通りです。

<臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前>

読み方は「りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん>です。

という事で・・・

呪いの話は次回へ続くようで続かないかも^^;

 

日本の呪い?「闇の心性」が生み出す文化とは?【電子書籍】[ 小松和彦 ]

呪い完全マニュアル