花魁淵山梨県北都留郡と山梨県塩山市の境

ついにと言うか...花魁淵のご紹介です。
場所は青梅街道を奥多摩方面から山梨県塩山を目指してひたすら走ると見える<柳沢峠>付近にあります。
もうちょい詳しく書くと、柳沢川と一の瀬川が合流している<一の瀬川橋>を渡った先の大きな右カーブの
崖っぷちになります。目印は供養塔が立っていますので判り易いと思います。
で、丁度その真下に流れる渓谷を<花魁淵>と言うんですね。
さて、なぜそこが<花魁淵>と言われるようになったのか? 簡単にご説明を。
今から400年ほど前の戦国時代。
この一帯には黒川千軒と呼ばれる鉱山町がありました。金を掘っていたんですね。
で、その金山の近くには、坑夫達の慰安のための遊女達が住んでいました。
人里離れた山奥のため独自の文化が開けていましたが、豊富に採掘されていた金もやがて底をつき
おまけに当時の統括者の甲斐の武田氏が滅亡してしまいました。
ついに閉山に追い込まれた時、金山の秘密を知る遊女達を口封じのために殺害する計画が出ました。
その殺害方法は凄惨を極めたと言われています。
谷の上に作った宴台に遊女達を乗せ、最後の宴としょうし遊女達をその舞台で踊らせたそうです。
しかし、その舞台は本当に最後の宴台。実は処刑台だったんです。
55人の遊女達が舞い踊る最中、宴台を吊っていた藤づるを切断し、舞台もろとも谷底へ沈めてしまいました。
阿鼻叫喚の地獄の中、遊女達は次々と溺死し、無惨な死体が川の下流に流れ着いたそうです。
その現場がいつしか<花魁淵>とも<55人淵>とも呼ばれるようになったそうです。

これが<花魁淵>と言われるようになった過去の出来事です。
さて、この話しが事実だとすると、この場所に渦巻いている念はすさまじいものがあります。
遊女達の...言わば悲しみの念ですから...一説には女性が現地に行くと特に危ないと聞いています。
しかし...本当の<花魁淵>はここではないという説があり、どうやら本当にここは違うようです。
では何故ここが<花魁淵>と言われるようになり、おまけに供養塔まであるのか?
その疑問を解く鍵はこの場所の大きなカーブにあります。
どうも青梅街道が開通した頃から、この場所での事故が多発するようになりました。
それがいつからか事故は遊女の祟りではないのか? という噂が広がり、事故を防ぐお守り代わりにその場所に
供養塔を建てたというのが事実らしいです。(ちなみに供養塔を建てたのは塩山市の立正佼成会だそうです)
では本当の<花魁淵>とは何処になるのか?
色々と資料を調べた結果、供養塔のある場所からさらに1キロほど塩山市方向に向かった
藤尾橋下に流れる柳沢川の<ゴリョウ滝>のあたりがそうらしいです。
自分も過去にここを訪れた事があるのですが、下に降りる道はありませんでした。
崖を降りていけば...どうにか辿りつけるらしいのですが、物好き(自分みたいなのかな?)がたまに降りては
そのまま落下して大事故になるらしいので、あまり...いや絶対オススメ出来ません。

そのちょっと下流には川におりれるのですが、川を上流に向かうにも道はもちろんなく、おまけに川の中には
巨大な石がゴロゴロ。川の流れも日によってはかなり激しく流れていますので危険です。
まぁ雰囲気的には供養塔近辺だけでも深夜なら十分あります。
そう言えば何年か前に夜中に供養塔を見に行ったら、深夜の2時頃だったにも関わらず
つけたばかりのお線香が1本だけあったのには...ちょっとだけビックリしましたけどね。
最後に...途中にも書きましたが、
なるべくなら女の子は現地に行くのはやめておいたほうがいいと思います。
それと車の運転は慎重に!

※現在は新道が開通し、花魁淵には車で行けません

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