デジャ・ビュってどうして起こる?
何故か? ここAnother Storyばかりがハイ・スピードで更新されていますね(^-^)
取りあえずは<うろつきネタ>充実に向けての息抜き程度で読んでいただければ...と思います。
単に廃墟、心霊スポット、自販機ネタの収集が追いつかない為の苦し紛れの更新ネタなんて噂もありますが...(^-^;
さて、今回はデジャ・ビュ(既視感)について考えてみましょう。
初めて訪れた場所なのに来たことがあるような気がする。もしくは今しているのと同じ事を、以前にした事があるような経験を
感じたことはありませんか?
こういう現象を心理学では既視感(デジャ・ビュ)と呼びます。
既視感は何が作用して起こるのでしょうか。現代では人の記憶のプロセスが原因と考えられています。
人の記憶のプロセスは、情報を獲得する<記銘>、その情報を保存する<保持>、情報を思い出す<想起>の3段階から
成り立っていると言われています。
例えば、幼い頃に行ったお祭りの賑わいやウキウキする気持ちは、心の中に<記銘>されたあと、<保持>され
楽しかった思い出として<想起>されます。
けれども、記憶力には自ずから限界があって、体験した全てを<保持>するのではなく、印象の強かった部分だけを
選択して記憶していくそうです。
また、<保持>する期間が長くなればなるほど記憶は薄れてしまいます。お祭りに行った事実は覚えていても
それがいつ? 誰と行ったか? などは次第に忘れてしまいます。
既視感は、記憶のほとんどが忘れ去られた後、ごく断片的な映像や感覚が残っている状態で起こります。
つまりは、昔のことはすっかり忘れて、生まれて初めてお祭りに来たつもりが、目の前に広がる夜店や喧騒に刺激されて
かすかな記憶が蘇ります。そして<いつかどこかで見たことがある>と感じてしまうのだそうです。
また、既視感を呼び起こすのは、実際に体験したことだけとは限りません。
昔見た映画のワンシーンや写真集の風景の記憶が心の中に残り、それがまるで自分自身が体験したことのように
目の前の光景に重なって感じられる事もあるようです。
けれども、人間の記憶の不確かさが既視感の原因であるにしても、どうにも解らないことがあります。
既視感を感じながら、話す相手が次に何を言うのか一字一句ハッキリと予想出来て
実際にその通りになることがあるのは何故なんでしょう?
オックスフォード大学の教授マイケル・シャリスは、自分の幼い頃のデジャ・ビュ体験を自らの著書でこう記しています。
彼は12歳の頃、ある日夕食に遅れ、家に戻ってから、家族が今何を食べているかと母親に尋ねた。
その時、彼は強烈なデジャ・ビュ感に襲われたと言っています。
彼はその事を母親に話したばかりか、母親が答えようとしたメニュー(その時、家族はサラダを食べていた)も当ててしまいました。
ここまで詳細なデジャ・ビュ体験がなくても、誰もが一度は経験したことがありますよね。
<ああっ、この場所は>、<こんな会話は前にも...>、<今と同じ事を前にも自分は...>と様々です。
ここまで書いてしまいましたが、結局のところは既視感のメカニズムについてはハッキリ分かっていません。
あくまでも、<こうだろう>、<ああだろう>の机上理論の中での解説のようですね。
なんだか釈然としませんが(^-^; この辺が自分の見解の限界だと...m(_ _)m
でも、デジャ・ビュとはもしかしたら、遠い未来を見てきた記憶の欠片なのかも知れませんね。
ああ、またいい加減なことを言っちゃったよ(^-^;